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奥多摩の町

豊かな緑、奥多摩湖の自然に恵まれた東京都の一大観光地

榎木工業を語る上で奥多摩の町はかかすことができません。 登山、バイクツーリング、ドライブなど都心からも気軽に日帰りで訪れることができるため、観光客に人気の土地です。東京で一番標高の高い「雲取山(くもとりやま)」、小河内ダムによって作られた「奥多摩湖」、そして自然の偉大さを感じさせる「日原鍾乳洞」など、名所は様々。 JR青梅線の終着駅「奥多摩駅」を利用すれば、都心からも1時間強で訪れることができます。

奥多摩の観光スポット

※観光スポットの名前を押すと詳細をご覧いただけます

奥多摩の観光スポット※観光スポットの名前を押すと詳細をご覧いただけます

奥多摩の名産品

奥多摩の名産品

奥多摩のイベント

疲れた心身を奥多摩で癒しに訪れて
はいかがでしょうか?

  • 毎年4月

    奥多摩セラピーウォーク

  • 毎年8月

    奥多摩納涼花火大会

  • 毎年8月

    山袛神社例大祭(三匹獅子)

  • 毎年10月

    奥多摩ふれあいまつり

  • 毎年11月

    山のふるさと音楽祭

小留浦山祇神社獅子舞来由

 小留浦山祇神社の獅子舞は、今から七百六十五年ほど前、人皇第八八代後院峨院邦仁親王の御代であった
寛元三年(西暦五年)に内裏にて始められ、文明年間(西暦一四八○年頃)当地に伝えられました。
文明年間は応仁の乱が終結し、蓮如が山科に本願寺を創立、また足利八代将軍義政が銀閣寺を建立した頃である五百三十年ほど前の室町時代になります。
 近隣の獅子舞としては最も歴史が古く、東京地方の獅子舞の元祖と言われ、当地より、檜原の藤倉、
小河内の原・河内、相模原の下九沢・上大島、等反各地に伝えられ、また、これらの地域以外にも、直接、間接的に小留浦山祇神社の流れを汲む獅子舞は各地に多く残されています。

 当地への伝承以後、幾多の変遷の中を父子相伝え、鎮守の祭礼や、時には疫病の発生した時などに奉納することが習わしとなっておりましたが、現今では祭礼のほか町や都の行事に参加して上演しております。
 平成二十一年、多摩地方の獅子舞の変遷を示すものとして重要であるとの事から、秘伝書である「日本獅子舞来由」一巻を附として、この獅子舞が東京都指定無形民俗文化財となりました。

 この獅子は三頭獅子ですが、その三つの頭のいわれは、
  第一に 日月星の三光天子
  第二に 仏法僧の三宝
  第三に 家内守護の棟梁である三宝大荒神
に倣っています。

 また、顔の形は獣の司である獅子に、羽は孔雀・
鳳原などの鳥の司に倣い、腰に太鼓を付けて打つのは万物打納の吉事をあらわしています。
 花笠の四つは須弥の四州を守護する持国・増長・広目・多聞の四天王に、花笠の持つササラは四州を扉かす風に、それぞれ象られています。

 この獅子の舞い方は、薬師十二神将になぞらえて
十二通りありますが、本日はこの中より八立(八通り)の獅子舞を上演いたしております。 閉じる

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疲れた心身を奥多摩で癒しに訪れてはいかがでしょうか?

  • 毎年4月

    奥多摩セラピーウォーク

  • 毎年8月

    奥多摩納涼花火大会

  • 毎年8月

    山袛神社例大祭(三匹獅子)

  • 毎年10月

    奥多摩ふれあいまつり

  • 毎年11月

    山のふるさと音楽祭

小留浦山祇神社獅子舞来由

 小留浦山祇神社の獅子舞は、今から七百六十五年ほど前、人皇第八八代後院峨院邦仁親王の御代であった
寛元三年(西暦五年)に内裏にて始められ、文明年間(西暦一四八○年頃)当地に伝えられました。
文明年間は応仁の乱が終結し、蓮如が山科に本願寺を創立、また足利八代将軍義政が銀閣寺を建立した頃である五百三十年ほど前の室町時代になります。
 近隣の獅子舞としては最も歴史が古く、東京地方の獅子舞の元祖と言われ、当地より、檜原の藤倉、
小河内の原・河内、相模原の下九沢・上大島、等反各地に伝えられ、また、これらの地域以外にも、直接、間接的に小留浦山祇神社の流れを汲む獅子舞は各地に多く残されています。

 当地への伝承以後、幾多の変遷の中を父子相伝え、鎮守の祭礼や、時には疫病の発生した時などに奉納することが習わしとなっておりましたが、現今では祭礼のほか町や都の行事に参加して上演しております。
 平成二十一年、多摩地方の獅子舞の変遷を示すものとして重要であるとの事から、秘伝書である「日本獅子舞来由」一巻を附として、この獅子舞が東京都指定無形民俗文化財となりました。

 この獅子は三頭獅子ですが、その三つの頭のいわれは、
  第一に 日月星の三光天子
  第二に 仏法僧の三宝
  第三に 家内守護の棟梁である三宝大荒神
に倣っています。

 また、顔の形は獣の司である獅子に、羽は孔雀・
鳳原などの鳥の司に倣い、腰に太鼓を付けて打つのは万物打納の吉事をあらわしています。
 花笠の四つは須弥の四州を守護する持国・増長・広目・多聞の四天王に、花笠の持つササラは四州を扉かす風に、それぞれ象られています。

 この獅子の舞い方は、薬師十二神将になぞらえて
十二通りありますが、本日はこの中より八立(八通り)の獅子舞を上演いたしております。

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